私は、なぜ先生と稽古をするのか?

先日、稽古終了間際の30秒間を使って「相打ち面稽古」を行いました。

お相手は、先生です。

時間は、20秒程度の短いお稽古です。

私は「よーし!20秒間、しっかり集中してやり切るぞ!」と思って挑みました。

しかしながら、たて続けに、何度も先生に面を打たれているうちに、自分の氣持ちが萎え始めているのを感じました。

たった20秒ごときの相打ち面稽古にも関わらず、私は、自分の氣持ちを集中させることができませんでした。

自分にがっかりしました。

ショボすぎるなあ、私。

くすん

一体、こんな短い時間の間に、自分に何が起きたのだろうと思いました。

まず考えたのは、

何故、私は、途中で氣持ちが萎えてしまったのだろう?ということでした。

思い返してみると、あのとき私は、こんなセリフを心の中で吐いていました。

「無理!無理!自分が、先生に面を決められるはずがない!」

確かに、思っていました、こんなことを・・・。

おいおい・・・

でも・・・

これって・・・

冷静に考えれば・・・

メチャクチャ当たり前のことですよね・・・

私と先生の力量には、雲泥の差があるんだから、

今の私の技量で、先生と相打ち面稽古をやれば、先生の面が勝つに決まっています。

うーん、そりゃそうだ。

かなうわけない。

100%正解ですよ。

氣持ちが萎える理由にすらならないほど、当然のことでした。

ちょっと我ながら恥ずかしい・・・

でも、なんかスッキリしなくて、いろいろ考えていたら、

こんな素朴な疑問が湧いてしまいました。

「では、何故、私は、先生と稽古をするのでしょうか?」

技量レベルを考えたら、勝てるはずがないと分かっている相手を前に、自分は何をすべきなのか?

先生は、私に何を求めて、相打ち面稽古を行っているのでしょうか?

1つ1つの稽古の目的を正しく理解した上で、稽古をしないと意味がないように思いました。

ここは、なんとしてでも、次の相打ち面稽古までに、答えを見つけなければ・・・

頑張って考えなくちゃ

考えた結果、こういうことかな?っと思いました。

ひとことで言えば、先生との稽古の目的は

「強い氣を養うこと」・・・でしょうか?

つまり・・・

どっちの面が先に入るか・・・などの勝ち負けを考えず

相手と氣を合わせて

相手を怖れず、強い氣迫で

積極的に自分から相手に懸かっていき

中心を死守しながら

自分が持てるものすべてを使い切って

真正面にぶつかって面を打とうとする氣を養うこと・・・

これが、先生との相打ち面稽古の目的なのではないかと思いました。

今挙げたことは、どれも、自分の氣持ちが強くなければできないことばかりです。

要は

「強い氣持ちで、懸かっていく」

そして

「自分がやろうとしたことを、何が何でもやり切る」ことを身に着ける稽古の1つだと思いました。

これは、相打ち面稽古だけでなく、先生との地稽古にも共通することだと思いました。

先生との相打ち面稽古や、地稽古で、

今の私が目指すべきことは、先生から一本を取ろうとすることではありません。

先生より格下の自分が目指すことは

自分が持てるものすべてを使って、積極的に先生に懸かっていくこと。

まずは、ここを目指さないといけないのだと思いました。

先生を怖がってひるんだり、応じ技や出ばな技を狙って、先生が打ってくるのを、ジッと待ち構えるのではなく、、、

自分から、全力で攻め懸かっていった結果、何が起きるか?何が見えるのか?

その結果をふまえて、まだ自分に足らないものが何か知ったり、逆に、以前と比べて少し成長できた部分を自覚したり・・・

そのための稽古が、先生と稽古をする目的なのかも・・・っと思いました。

なるほど!スッキリしてきたぞ

相打ち面で、先生の面ばかりが決まったときには、

「やっぱり先生にかなうわけない・・・」と気持ちを萎えさせるのではなく

「しまった!また、先生に中心を譲ってしまった!」とか

「しまった!また、右手を使いすぎて面打ちが遅れてしまった!」とか

自分がミスったところを瞬時に自覚して、

次の面打ちを改善していけるようにならないといけないのだなと思いました。

つまり、先生に打たれるのは当たり前・・・

でも、自分の何が足りなかったから打たれたのか?

それを自分で見つけ出すために、先生は、私たちと稽古をしてくださっているのではないでしょうか?

ちょっといろんな技を覚え始めると、なんとなく、自分がうまくなってきた錯覚に陥って、先生との稽古においても、互角気分で、Youtubeで見た小手先の技を使って1本をとってやろうなんて、100年早いよね・・・デヘヘ

なんか、恥ずかしいわ。

もうしませーん!

あれこれ考えた今、私が思うことは、先生との稽古は、自分の弱さを知り、強い氣を育てるための稽古なのだ・・・ということです。

こうやって考えると・・・

いわゆる「懸かり稽古」だけが、懸かる稽古ではなくて、先生との稽古含む、すべての稽古において、常に「懸かる」を意識して稽古していくと、また、いままでとは違った世界が見えてくるのかなあ・・・とも思えてきます。

そんなわけで「懸かっていく!懸かっていく!」を呪文のように唱えながら、明日も稽古に行ってきまーす♪

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