なぜ、私は試合に出るのかな?

先週は、久しぶりの「見取り稽古週間」でした。

というのも、6月下旬に開催された、とある剣道大会で、派手に転倒して、翌日から軽いムチ打ち症状が出ていたからです。

なんで、こんな転倒をしてしまったかといえば、それは、100%私の不覚によるものでした。

自分の年齢・体格、そして剣道経験をふまえれば、当然、自分より年齢が若く、体格もはるかに大きく、スピーディでパワフルな剣士に立ち向かうときには、それなりの対策をもって挑まなければなりませんでした。

それにもかかわらず、試合当日の私は、そういったことを何も考えずにいました。ただ、自分がどうやったら相手から打たれずに、自分の面を打つことができるかだけを考えていました。そして、面打ちに出た瞬間、体格差が半端ない大きな相手と接触し、一瞬で、後方に見事に吹っ飛ばされました。

あっという間の出来事だったわ

幸い後頭部打撃とはなりませんでしたが、一歩間違えば・・・・という、ちょっと危ない転倒でした。

すぐ治るかしら?と、不安を少し抱いたものの、1週間の休養をとったら、無事に回復しました♪

また稽古に参加できることを喜び、頑張って元気になってくれた自分のからだに感謝しつつ、来週から、また、お稽古に臨みたいと思っています。

今回の経験もふまえつつ、あらためて自分にとって、「試合に出る」ということの意味について考えてみました。

私は、人間の年齢でいえば、還暦も近い剣道キャットです。

やっぱり私は、背も低くて、おまけに、約2頭身の猫だから、重心やバランス取りに、よほど気をつけていなければ、相手に簡単に倒されてしまいます。今回の試合みたいにね

そんな私が、なぜ、好き好んで、自分よりはるかに若くて、活力みなぎる剣士たちに交じって試合をするのか?

これまでの、ほとんどの試合、私は、負けてばかりなのに、なぜ、懲りずに試合に出続けるのか?

30~40歳も年齢差がある相手と闘うなんて、他競技では、あんまり見かけないよね・・・

その答えは1つです。

それは、

自分の普段の稽古目標が、試合の場でも、ちゃんと出せるかどうか試したいからです。もっといえば、稽古目標を達成した上で、自分は、試合に勝てるのかどうかを試したいからです。

そして

同時に、今の自分には、何が、まだ不足しているのかを知りたいからです。

あ!

答えは1つといいながら

2つだったわ♪

普段、出稽古に行かない私にとって、試合の場というのは、ほとんど知らない相手と闘う場です。

でも、どんな相手と向き合ったとしても、普段の稽古で心がけていることを、しっかり守って闘えば、理屈の上では勝てるはず・・・

このことが、「机上の空論」ではなくて、本当に、それを実現できるのかどうかを試す場が私にとっての「試合」です。

ところで

これまで試合をしてきて、試合後にこのようなことを感じたことがあります。

試合には勝ったけど、心がモヤモヤして、あんまり嬉しくない勝ち試合

逆に

試合には負けたけど、心がハレバレして、清々しい気分の負け試合

皆さんも、こんなご経験はないでしょうか?

僕は、勝ったときは

いつも嬉しいっす♪

これって、結局、自分が、何に、こだわって試合に挑んでいるのかによる違いのような気がします。

例えば、試合の勝敗結果がとにかく大事!というときもあるかと思います。その時には、やっぱり何が何でも「勝つ」が一番の目的になりますから、その勝敗結果に一喜一憂することになると思います。

あるいは、

もちろん試合に勝つことができれば嬉しいけど、勝つまでの過程にこだわる場合は、試合結果そのものよりも、自分がどんな剣道をして闘ったのかということの方が気になるのだと思います。

たとえば、

この必殺トリックを使えば、これまでも、80%の成功率で、出ばな小手を決めてこれた!でも、いつまでも、そんなセコイトリックを使って勝ちたくない!・・・と思ったら、

心を鬼にして「よし!今日の試合では、いつものトリック出ばな小手は、禁じ手にしよう。そして、とにかく、まっすぐな剣道で勝負してみよう!」と、心に誓うことでしょう。

しかしながら、なかなか勝負がつかないまま、延長戦になってしまったら、勝ちたいという欲が強く出てしまい、ついつい禁じ手を使って一本を取ってしまうことがあります。

無意識に・・・ではなく、意識的に禁じ手を選んでしまいます。

その結果、その試合に勝てても、それは、心から喜べる嬉しい勝ちにはなりません。

「おめでとう!」って言われても

苦笑いになっちゃうの

なぜなら、それは、「自分に負けて、試合には勝った」、そういう勝利だと、私の心は知っているからです。

自分が成長できたかもしれない機会を、欲に負けた自分自身が奪ってしまったことに、心が悔やまれるからです。

私の中で、試合に出る前に、その試合に対する明確な目標を定めないまま、試合に挑むことはあまり意味がないと思っています。

その試合で、自分が、何を試したいのか?

それを決めた上での試合出場だからこそ、どんな相手が目の前に現れようとも、とりあえず心迷うことなく「向かっていくぞ!」っと、気持ちをまっすぐ定めることができます。

しかしながら、本当に情けないことですが、これまで試合を重ねてきて、9割近く、私は自分の目標を達成することができないまま試合を終えています。

なんというか、「試合」っていうのは、ある意味、容赦ないですよね。

毎回、自分に何が足りていないかだけは、明瞭に私に教えてくれるのです。

厳しい現実を

これでもかあああ!!って

顔面に突き付けてくるんだよね

私も感情を持った猫ですから、やっぱり、試合に負けたら悔しいし、悲しいと思うときもありました。

でもね、なんで自分が負けたのかを、もう一度動画で見たり、試合中の自分の心の置き方を思い出すと

こりゃ負けて当然だ・・・

と、思えて、すぐに悔しいとか悲しいという気持ちは消えていきます。

悔しいとか悲しいとか、そんないっちょまえの感情を持つ以前の問題だったわ・・・と気づかされるのです。

むしろ心がスッキリしてきます。

このときの気持ちって 

クヤシイと

ウレシイと

ワクワクが

織り交ざった不思議な感情なんです。

ミックスジュースみたいな気分

自分がやろうと思ってたことが、またもや、できていなくて、ほんとに自分が情けなくてクヤシイという気持ち

何でそんな風にダメだったのか、その原因を見つけることができてウレシイ気持ち

そこさえ、改善すれば今度は勝てるかも!っと、希望が持ててワクワクしてる感じ

多分、こんな感じなんだと思います。

こういう自分の気持ちの検証が、なぜできるかといえば、それは、ひとえに、試合前に自分が目標を設定していたからだと思います。

目標もなく、なんとなく試合に出て、審判が決めた勝敗結果だけに、一喜一憂して終わるだけのものに、自分の身体を張るのは、ちょっとリスクが大きすぎる気がします。

自分がうっかりしていたら、一歩間違えば大怪我をしかねない・・・、そういう、緊張感のある場に、自分の身体をもっていくんですから、

やっぱり、自分の剣道を成長させるための目的を明確にして、全身全霊、心を集中させて挑んでいくべきもの・・・、それが、私にとっての「試合」だな・・・と、思っています。

試合には、やっぱり、普段の稽古では経験できない、特別な要素があって、そのおかげで、自分の立ち位置や、今後の目標が、一気にクリアになっていくような気がします。

そういった意味でも、今の私にとって、試合に出ることは、大切な剣道修行の1つといえます。

でも、実は、形式は異なれど、似たような学びは、普段の稽古からも得られるものだとも考えています。

試合にしても稽古にしても

大切なことは、

いまから自分がやろうとしていることは、なんのためにやるのか?

その答えを、自分が分かっていなければいけない。

そこが、まずは、スタート地点のような気がします。

そんなわけで、明日も稽古にいってきまーす♪

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