見取り稽古をしていた間、本当に、いろいろなことを考えていたので、しばらくブログネタがつきない私、剣道キャットこと、春ちゃんです。

「ネタ」帳に、ネタがぎっしり
うふふ♡
今日は、スーパー自己チューの私にとって、耳が痛くなるようなできごとについてしたためます。
さてさて、剣道稽古をやっていると、いろいろ決まり事や、気をつけないことがありますよね。
稽古中は、もちろんのこと、稽古が始まる前でも、すでにいろいろなことに注意を払わないといけにことがあります。
その代表例は、「着装」「竹刀点検」かと思いますが
それ以外にも・・・
自分の履物をどこで脱いで、どこにおさめるか
自分の防具バッグや竹刀袋をどんな状態でどこに納めてから稽古を始めるか
お相手と、どのように礼をしあって、稽古を始めるか
とにかくあっちにもこっちにも、いろいろ、注意をしないといけないことがあります。

僕は、いつも早く稽古がしたくて
ついつい、竹刀点検忘れてしまいます
ゴメンナサイ

最近、あちこち関節痛がひどくて、
とにかく、ありとあらゆる紐が
しっかりと結べないのよね〜
困ったわぁ~
これら決まり事は、何故、それらを守らなければならないのか、
自分を軸にして考えれば、その理由は、容易に理解できます。
たとえば、着装に関して言えば、稽古着・袴を正しく身に着け、防具をつけることで、自分の心を整えるとともに、稽古中の自分の身の安全を守るために、正しい着装というのは大切だと理解できます。
でも、現実的な話として、仮に、ちょっとぐらい
胴の左右が歪んでいても・・・
面紐の左右の長さが異なっていても・・・
タコ面っぽく、面垂れが左右に跳ね上がっていても・・・
名札垂れが、真ん中からずれていても・・・
袴の紐が不思議な場所からチラチラ見えていても・・・
これらのことは、面紐や胴紐がほどけているのとは違って、即時に、自分の安全を脅かすような不適切な着装か?っと言われれば、それは、それほどのことではないかもしれません。おそらく、それが故、他から注意を受けることなく、自分でも気づかず、そのまま稽古を続けてしまうのだと思います。
でも、視点を変えて、常に着装を正しく行って稽古に臨もうとしている剣士からすると、
もし、お相手の胴の左右の高さが違って、胴が斜めに着用されていたり、
名札垂れの中心がずれていたりすると、
正面からみたときに、なんか、こう、落ち着かなくて、稽古に100%集中しきれなくなってしまうのではないかと思います。お相手の傾いた胴につられて、自分の首が曲がっちゃうよー!
例えるなら、こんな感じでしょうか?
「ちょっと、あなたに相談したいことがあるから、今日のランチ、おごるからつきあってくれる?」っと、深刻な面持ちで会社の先輩に言われ、二人で、焼きそばランチを食べにいったとしましょう。
お互い、焼きそばを、ある程度食べて一息ついたときに、
その先輩が「実はさぁ~・・・」っと、深刻な悩みを、自分に打ち明けて相談してきたその瞬間!
その先輩の歯に青のりがバッチリくっついていたら・・・
青のりなんて気にせず、先輩の話に集中したい!っと何度思っても、
先輩が口を開けるたびに、青のりが何度も「こんにちわー!」って、アピールしてきたら
もう、こっちは100%の集中力で、先輩の話を聞くことは無理ですよね。しかも先輩に対して「歯に青のりついてますよー!」っていうのも言いにくい・・・

もう無理ー!
青のり取ってー!
かなり飛躍したたとえ話と思われているかもしれませんが
私は、見取り稽古をしていたときに
私は、この歯にくっついた青のりと、乱れた着装っていうのは、ちょっと似ているんじゃないかな・・・と思い、またまた、大きな発見をしたような気分になり,ウキウキしてきました

春ちゃんの
大発見シリーズ!
つまり、本人は、そのこと(青のり・歪んだ胴)に、気づいていないからか、全然、そのことを気にしてないけど、それを見せられちゃってる相手は、集中できず心穏やかではなくなってしまう(話に身がが入らない、稽古に集中できない)・・・みたいな。
そして、さらにここから、いろいろ考えを巡らせて、私が思ったことは、
要は、剣道で、さだめられている数々のきまり事は、
自分のためにだけではなくて、他人のためにも行っていること、つまりは、稽古をしあう”お互いのため”に行うものがほとんどじゃないか?・・・と、いうことです。
着装や竹刀の点検をしっかり行うことは、自分が稽古に集中できるため、自分の安全面を守るためだけではなく、お相手の稽古の邪魔をしない、お相手の安全を脅かさないために行う。
立ち合いの前に礼をして3歩前進するときにも、ただ、単に、自分のペースで礼をして3歩進むのではなく、お相手と気を合わせながら礼をして、そして、合気を保ったまま、お互い気を高めながら、3歩進むことで、自分たちの稽古の質を高めあうために行う。
自分たちの安全面だけでなく、次にお稽古をされるであろう人々が怪我をしないようにするためにも、道場の掃除は、稽古前と稽古後、ともに行う。
などなど・・。
素振りは、1人で行うけれど、それ以外のすべての稽古は、
自分以外の人とともに行うわけです。
目の前に、相手が存在している以上、
もし、自分のことだけを考えて稽古をやっていては、
おそらく、何にもうまくいかないんじゃないかな・・・という気がしてきました。
そもそも、相手のために何かを行おうとするためには、
その相手が何をしたいかを理解しておく必要があり、
相手が何をしたいかを理解するためには、
その相手を注意深く観察したり、相手が、今、何を感じているか、その気持ちを想像したり、
つまりは、相手を自分で感じることができるようにならないといけないですよね。
あれ・・・?
これって、、、?
うーん・・・
相手のことを尊重しながら稽古をする姿勢と
相手と対峙して、攻めしのぎ合うときの姿勢って
全然、異なる形をとっているようだけど、求める本質は同じなのかしら?
こうして考えていくと、道場に入るその瞬間から行うすべての所作・行動に、学ぶべき要素が、そこら中に、ちりばめられているのではないかと思えてきました。
そして、それらのことは、自分のことだけしか考えていない、自己チューマインドのままでいたら、簡単に見過ごしかねないことばかりのような気もしました。
自己チューキャット、春ちゃん、大ピンチです。

うげぇー!
自己チュー治すの
ムズカシイよー
これは、必死にこころがけて治さねば・・・
でも、もう、今年は、終わりが近づいているので、来年から、心を入れ替えて、稽古に臨むようにします。
そんなわけで、明日も、稽古にいってきまーす♪
ご意見・ご感想はこちらにどうぞ♪