大晦日・お料理かかり稽古

2025年最後のお稽古も無事に終わりました。

ホッと一息ついたところで、私は、2025年、最後のかかり稽古に挑みはじめました。

チューダン君
チューダン君

あれ?春センパイ、

お稽古はもう終わったはずなのに

どこで、かかり稽古したんですか?

はい、かかり稽古と言っても、剣道ではなく

毎年恒例の正月料理(おせち)作り・・・つまりは、「お料理かかり稽古」であります。

一般的には、12月29日くらいから仕込みを始めたり、日持ちがするおかずは、先に、作り上げておくようですが、行き当たりばったりの、私は、いつも、大晦日スタート。

自ら、かかり稽古状態を作りだし、毎年、大晦日の夜は、ヒィヒィいいながら、おせちづくりを行っています。

今年も、午前11時頃にスタートしてから12時間30分、ギリギリ、新年を迎える前に、なんとか、かかり稽古クッキングを終えることができました。毎年、調理を終えたときは、ほぼ、生きるしかばね状態です・・・

な、なんとか、今年もできた!

若干、品薄気味だけど、まあ、これで

新年を正月っぽく迎えられるわ

チューダン君
チューダン君

おお!

僕も食べてもいいんですか?

チューダン君は、お餅専門でよろしく!

今日は、何故、さっきから、剣道に関係のない、おせち料理の話をしているかといいますと・・・

実は、お料理をしていたときに、ふと、感じたことがあったのです。そのことについて、今からしたためますね。

私が、初めて、おせち料理にチャレンジしたのは、確か、2003年頃だったと思います。当時の彼氏にいいところを見せたくて頑張りました

それ以来、20年以上、なんだかんだ、毎年、おせちを作り続けてきました。きっかけとなった彼氏は、すぐにいなくなってしまいましたが・・・

さすがに20年間、毎年、同じ目的にチャレンジし続けていると、いろいろなことが思い出されます。例えば、おせち料理を作り始めた初期の数年は、お料理ブックを片手に、レシピに書いてある通りに調理をして、とにかく、おせち料理なるものを形にするんだ!っと意気込んでやっていたように思います。

とにかく、仕上げることを最優先!しかも、その仕上がりは70%くらいの出来であれば、きっと、誰が見てもそれは、「おせち」と認識され、「わー、すごいねー」っと、お褒めの言葉を言ってくれるだろう・・・というような、憶測をもって取り組んでいたように思います。

春ちゃんは、意外とズル賢くて

承認欲求の塊じゃのぉ~

ですから、とにかく、早く!早く!早く仕上げるぞ!・・・という感じで、味付けの細かい部分を省いたり、忍耐強く豆が煮あがるのを待たなければいけないところなど、「もう、待てない!」っと、我慢できずに調理を終えていました。

その結果、見た目は、つやつや黒豆だけど、食べると、「かたーい!」・・・という悲劇を、正月早々、周囲の人間に味わわせる羽目になっていました。

それでも、7割がた見た目がおせちだと、私の周りの家族・友達のみんなは、ほめてくれました。

でも、実は、あそこにもここにも、隠された手抜きがあることを、自分は知っていました。それでも、みんなが褒めてくれる、その快感から抜け出せず、しばらく、このやり方で、毎年、おせちを作っていた私でした。

今思えば、このころは、

みんなに褒められるために、おせちを作っていたんだわ

でも、ここ数年・・・特に、今年は、自分の中の何かが変わっていました。

なんというか、料理をしている間

例年より、落ち着いて1つ1つの素材の性質を考えながら調理をすることを心がけよう!・・・と思えたり

手間がかかる作業であっても、それを面倒くさいっと思わずに、ちゃんと向き合って、丁寧にやっているうちに、だんだん、その時間が愛おしく感じたり・・・

もちろん、おせちを作り上げることを目指してやっていたわけですが

昔のように、こう、変に、気持ちがワサワサ落ち着かないまま、どんどん作業だけを進めていく・・・というよりも

目標に向かって

1つ1つの調理を丁寧に確実に終えていく・・・

調理する素材と自分が会話するような感じで、素材の様子を確認していく・・・

そうすることによって、結果的に、1つ1つの素材を美味しく、見栄えよく見せることができるはずだ・・・という信念に近いものを心にもって取り組めたような気がします。ちょっと大げさに聞こえるね

頭がおかしくなった?っと言われるかもしれませんが、例えば・・・

黒豆を煮ているときに、自分がもし、黒豆だったら、もう鍋から出たいかなー?・・・とか、

ブリを照り焼きにしているときに、自分がもし、この、ブリの切り身だったら、もう醤油だらけだよ!いい加減フライパンから出してくれー!って思ってるかなー?・・・とか、そんな感じです。

レシピ本には、調味料をどんだけ入れろとか、何分間、煮詰めなさい・・・とか書いてありますが、それは、あくまでも1つの指標です。素材の1つの重さが異なったり、鍋の大きさが違っていたら、諸々の微調整が必要となります。

結局のところ、素材や調味料の性質を、自分がよく理解した上で、状況に応じて、適切な判断を下して調理しなければ、せっかくよい素材を使っていても、美味しくできあがらない・・・ってことのような気がします。

でも、先にも述べたように、完璧に美味しくできあがらなくても、7割の出来であれば、人からは、結構、褒められました。

褒められると気持ちいいです。でも、実は、あちこち手を抜いたことを自分は、知っているので、褒められても、絶対に、100%気分よくはなれないのです。むしろ、人を騙しているような気分になって、いつも、ちょっと罪悪感っぽい気分を感じていました。

手を抜かずに丁寧に作り続けることは、忍耐力、技術力が求められますが、これを成し遂げることが出来たときは、それだけで、なんだか、達成感があって嬉しい気持ちになります。

たとえ、誰にも褒められなかったとしても、ついつい自分で自分を褒めたくなります。

人から褒められなくても

自画自賛という手があったわ!

おせち料理づくりを通して、ここ数年の間、おそらく、無意識にこういったことに、徐々に気づき始めてきたように思います。

で、今年は、ここで、「はっ!」っとしたんです。もうお分かりですね・・・

これって、”剣道のまなび”と、おんなじじゃーん!ってことに。

そもそも、何のために自分は、おせち料理をつくるのか?・・・とか、

人はごまかせても、自分はごまかせないところや・・・

向き合う相手(素材)を理解した上で、会話しながらお互いが置かれている状況を把握したうえで、ものごとを判断してやっていかないとダメなところや・・・

手間や時間がかかるとわかっていることであっても、こころを落ち着けて1つ1つの努力を確実に重ねていけば、以前はできなかったことが、できるようになるかもしれないところとか・・・

剣道とおせち料理作りには、似ているところが沢山あるじゃないのよ!

大晦日、蓮根やニンジンを花型にするために、地道な包丁入れをしながら、こんなことを考えていた私でした。

そして、思いました・・・。

普段は、道場で剣道稽古をしていますが、こうして考えてみると、道場から出たあとであっても、日常生活のさまざまな場所で、剣道で求められる”精神的な強さ”を鍛えることができるのだなあ・・・と。

このことに気づくと、これじゃあ、どこに行っても稽古から逃げられないじゃないのー!っと思えて、正直「うげぇー!!」っとなりました。ハハハ

どこに行っても剣道が追いかけてくるよー!

というか・・・

日常生活が先なの?剣道が先なの?あれ?

これについては、まあ、また、来年、考えることにします。

今年は、腰を痛めて苦しい思いもしましたが、まあまあの1年だったと思います。

黒豆も、今年は柔らかく煮えました。

何は、ともあれ、無事に1年を過ごし終えることができたことに安堵して、2026年、新しい年を迎えようと思います。

明日は、稽古はお休み!おせちとお雑煮をいただきまーす♪

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