剣道の美しさって何?

普段、ふと目にしたものに対して「わぁ~綺麗!」とか「美しいってこういうもののことをいうのだなぁ」っと思うことがあります。

たとえ、自分が、その道の専門家ではない素人であっても、その美しさに、反射的に感動してしまうことがあります。

自分が、美しさを感じるものは、美術作品など、いわゆる誰かの手によって造られたものに対してだけでなく、大自然の中に、大きくそびえる山とか、静寂な湖の水面とか、自然に対してもその感情を抱くことがあります。

そういえば、この間、日本に行ったときに

名も知らぬ小さな町で見た紅葉、きれいだったなあ~

そんなわけで、今日は、「美しさ」についてしたためようと思います。

私が、剣道を始めたばかりのころ、ある日、どこかの先生の剣道を拝見する機会がありました。

私は、その先生の剣道を見た瞬間に「わぁー、きれい♡」っと、思いました。

当時の私は、竹刀を持ち始めて、まだ、1か月もたっていない、剣道スーパー赤ちゃんだったのに、なぜか、その先生の剣道を見たときに、それを、とても美しいものと感じました。

今思えば、おそらく、その日が、私にとって「美しい剣道」に出逢った、人生最初の日だったと思います。

以来、自分の中で、どんな剣道家になりたいか?っと考えたり、

人から「どんな剣道目指したいの?」と、聞かれたりしたときの自分の答えは、

「美しい剣道がしたい!」「美しい剣道をする剣道家になりたい!」でした。

おそらく、剣道を始めたばかりのときに目にした、あの先生の美しい面打ちが、頭に焼きついて、自然に、それが、自分の目指す剣道像になったのではないかと思います。

今でも、目をつぶれば

あの光景を思い出すことできるよ

そんなわけで、私は、美しい剣道をするために、まずは、姿勢を正しく維持できるように頑張りました。そして、基本稽古のときも、その姿勢を維持しつつ、稽古に励みました。

しかしながら、いったん、地稽古や試合になると、この自称・美しい姿勢は、試合開始とともに、完全に消え去り、行き当たりばったりの剣道を、ただ、ガムシャラにする剣道家と化していました。

撮影してもらった試合の動画を見ると、画面には、みっともない剣道、醜い剣道を必死になってやっている自分がいました。マジで、見ていて吐き気がしました。

美しい剣道を目指していたのに

これじゃあ、真逆だよ・・・

いったい、なぜ、こんな顛末に!?

自称「アーティスト」の私が、えっ?そうだったの?

目指すべき美しさが頭の中で、はっきりとイメージできているのに、

それに近づけないばかりか、まったく正反対の方向に進んでしまって

醜いものを自分自身の手で創り出してしまっている、この現実を容認することは到底できません!

私は、これは、ちょっと、立ち止まって考える必要があると思いました。

そもそも、剣道を始めて、まもなかったあの頃の私は、あの先生の剣道の何を感じて、「美しい」と感じたのだろうか?・・・と。

たとえば、

大自然の中に堂々とたたずむ富士山を見たときには、なぜ、それを美しいと感じたのか?

何百年も昔に彫られたお寺の彫刻像を見たときには、それのどこに自分の心が魅了されたのか?

お母さん猫が、生まれたばかりの5匹の仔猫たちに、自分の身体を投げ出して目をつぶって黙ってお乳をあげている姿を、なぜ、私は、美しいと感じて涙が出そうになったのか?

これらと同じように

私は、あの先生の剣道をみて、何故、それを美しいと感じたのか?

このことに、自分が明確な答えを出せないうちは、自分には「美しい剣道」などできないと思い、真剣に考えてみたのです。

そこで、さっそく、大事なことに気づきました!おっ!偉いぞっ、春ちゃん! by 春

そもそも、最初から、私の考え方が間違っていました。

うむ、自分の間違いを

いさぎよく認めることはいいことじゃ

私が間違っていたところは・・・

「美しい剣道を目指してしまった」ところなんです。

チューダン君
チューダン君

えー?

それのどこが間違ってたんですか?

なんというか・・・

美しい剣道は存在するけど、存在しない・・・そんな感じです。

チューダン君
チューダン君

ますます、わかんないっす!

つまり、私が感じたところの「剣道の美しさ」というのは、「過程」に現れるものではなくて

「結果」として生まれるものだったのです。

相手を許さない強い構えを作ることから始まり

中心をしっかり取りながらの強い攻めを経て

適切な機会に、間髪入れず思い切って自分の技を炸裂させ、

しっかりと残心をとる

強い気を維持しつつも、決して身体は力まず、心を乱さず、冷静に潔い心意気で相手に立ち向かう

これらをすべて兼ね備えて放たれた技を見たときに、

私は、それを「美しい」と感じたのだと思います。

したがって、私が過去に行った、美しい構えや姿勢を真似すること自体は、決して悪いことでも、間違ったことでもなかったのですが、それで、自分は「美しい剣道をしている」っと考えてしまったことが間違っていた・・・ということです。100%間違ってはいないけど、5%くらいしかあってなかったね・・・ていう感じでしょうか・・・

と、ここまでで、なるほど、「美しさ」は、いろいろなものを正しく行った結果だったんだな・・・と、自分である程度、納得したのですが、同時に、ふと、もうひとつの疑問がでてきました。

例えば、バスケットボールなど、スポーツ観戦をしているとき、

私は、「おお!すごーい!」っと思わず口にしてしまうことがありますが、「わあ、美しい!」っとは、あまり言わない気がします。

ありえない姿勢からとか、めちゃくちゃものすごい遠い距離から、見事にシュートを決めた瞬間など、「うぉおおおっ!すっごぉおい!」と叫び興奮しますが、それを、「美しい」とは表現することはありません。

剣道の試合中継でも、ときどき、「うぉっ、そこから、小手決めたの?すっごい!」っと思う場面があるときと、「ふわぁ~、溜息がでちゃうくらい、美しい小手♡」という場面があります。

同じ、得点が入っていても、私の感じ方が異なったのはなぜなのかしら?

「うぉー、すっごい!」と「ふわぁ~、美しいわ♡」の違いは何なんでしょうか?

また、考えてみました。そして、私がいろいろ考えを巡らせた結果、その答えは、

「基本に忠実な技か否か」

そして

「相手へのリスペクトの有無」でした。

正しい基本を積み重ねること

そして

自分だけよければいいという自己中心的な発想を捨てるということか・・・

よく時代劇とかで、お互いが向き合ったうえで、見事にスパッと一撃で相手を討取ることができれば、相手も綺麗な最期をとげれるけど、

完全パニックになって、「うぎゃああ~」って、叫びながら刀を振り回してる最中に、相手に幾度も傷をつけながら討取ってしまったら、やっつけられた方は、なんだか、みじめな最期になってしまうよね。私が家族だったら、超悲しいわ・・・。

見事な一撃で相手をしとめるためには、正しく技を放たなければいけない、、、つまりは、基本に忠実に技を放たないと、それは実現できないよね

でも、それを、実現できたときには、相手にとっても自分にとっても、美しい形で闘いを終えることができる・・・そんな感じなのかな・・・っと、三船敏郎主演の「椿三十郎」のラストシーンを思い出しながら思いました。

ちょっと、話がそれた感じもありますが、ここで、私の考えを整理してみようと思います。

剣道の美しさというのは、美しい姿勢、美しい振りかぶり、美しい残心・・・・など、それぞれのもの1つ1つをバラバラに追いかけて身に着けていくものではなくて、

気・剣・体、すべての基本が、正しく重なりあったその瞬間に、発現するものなんだな・・・ということを心に留めておこうと思います。

そして、この「気・剣・体」のうち、

「剣・体」とは、身体と竹刀を、逆らわせずに、正しく双方を協力させながら使うことであり、

「気」の部分には、必ず勝つ!・・・という意気込みや、潔さと、同時に相手へ敬意も決して忘れずに向き合っていくことが求められるのだな・・・という感じでしょうか。

いやー・・・・、また、こんな奥深いところまで来ちゃったよ。

で、例によって「うげぇー、とてつもなく遠い道のりが見えるよー」っと、軽い吐き気をもよおす私。。。

ひぃ~・・・

私、簡単に口にしていたけど、

「美しい剣道」って、はるかはるか遠い先にあるんだね

でも、よく考えてみると、あれもこれも、結局は、大事なことって1つなんじゃない?って、気もしています。

そう考えれば、ちょっと、吐き気から解放される私なのでした。

そんなわけで、遠い道のりも1歩から・・・明日も稽古にいってきまーす♪

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